ツェッペリン合宿(苦行)
ツェッペリンあんまり好きじゃなくて(嫌いでもないけど)良さがまだ解っていないので、ツェッペリン合宿と称して唯一もっているアルバム「レッドツェッペリンIII」を苦行の如くひたすら聴きつづけています。
なんとなく良さがわかってきた、かもしれません。恋人によるとこのアルバムあんまり…だそうですが、OKOK、大丈夫っしょ!
好みでもないが買ってしまったので苦行の如くそのCDを聴きこむ…というのは、いま40〜50代のミュージックキッズにとってはごくごくふつうの体験らしいですね。当時はLPか。
石川さんの場合はプログレッシブ・ロックバンドのYesの盤を買ったは良いものの、いっぺん聴いても良さがまったく解らなかった。しかしレコードは当時の石川さんにとって安い買いものではなかったため、なんとかもとをとろうと(?!)来る日も来る日もそのレコードを聴き続けたらしい。
するとある日、その素晴らしさが天から降ってきたかのように解ってしまい、それがきっかけでプログレにハマっていかれました。
「いまはYouTubeやネットで無料かつ簡単に音源を聴ける。気に入らなかったらもう2回と聴くことはしない。ネットもないあの時代だったからこそ得ることができた産物だったヨー」と話しておられたが、小学校高学年からYouTubeでエロ動画とか観ていた世代のわたしにとっては本当に羨ましい限り。
ネットがあって、モノも情報もズリネタも発言権もなにもかも簡単に手に入るいま、どうしてもわかりやすい音楽が好まれるような気がします。1回聴いてピンと来るような音楽。
何回も何回も聴いて、ある日突然魅力が湧き血踊ってくるような体験は必要なのじゃないかなーとも思うんですけどね。自戒も込めて。
でもみうらさんの執念というか、粘着質(!)というか、凄いところなのですが、買って失敗だと感じたにも関わらず、ファーストアルバムから1枚1枚ディランのアルバムをコツコツ集め始めます。
凄いことですよ。中学生ですよ。お小遣いなんて知れてるし、レコードだって安くない。たいして好きでもないなんなら古くさいアーティストのレコードを買い続けるわけですよ。みうらじゅんはすくすくとみうらじゅんだったんですね。
結局「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」で開眼され、ブッ飛び、のちにはご自身で選曲したベスト盤や「アイデン&ティティ」まで書いてしまうのですから。「苦行」の深みというのは確かにあるんじゃないでしょうか。
お腹を痛めて産んだ子は可愛いといいますが、苦行を経て得た魅力と愛は、やはり深く強く自分自身の核となる気がします。どうなんだろう。わからないけど。
この文章を書いているあいだずっとツェッペリンを聴いていたので、すこし親密にはなれてきました。ちょっと埃っぽく煙たい感じ、カリスマ性のある野暮ったさ、やっぱりなんか嫌いじゃないです。