情熱音楽、情熱人生
こんなパッサパサの音楽聴いてられるかー!ときょうふたたびドン・キホーテに赴き、ふたたびイヤホン売り場へ。
高いの買ってまたショボかったら立ち直れないゾと思いながらも、買いました。1980円くらいのイヤホン。
ドンキ印の情熱価格。
重低音、が決め手でした。
帰宅し恐る恐る聴いてみると、え!?これは!?
同じ音楽とは思えない。いや本当に。ベースの音が骨に響くような存在感。ボーカルもギターもしっかり違う音としてすんなり身に染みる。こんなことってある?
たかが2000円のイヤホンで大騒ぎしているわけだけど、こんなんなら5000円とか、10000円のイヤホンはどうなってしまうのか?追い求めたい気もするし、したくない気もする。
いまのところわたしをトリップさせるには充分な代物です。よかった。
なんかねえ。仕事中も考えていたんだけど、生きるってなんなんだろう。
いまのわたしは生きる=仕事する、になっちゃいがちですが、人生のすべてを仕事に費やすなんてできないししたくない。
だけど「俺、シュヴァンクマイエルが好きで、人形劇とチェコ・ヌーヴェルヴァーグにどっぷりつかるために月1でプラハ行きたいから、フリーターしてるんだ」なんてこと日本において果たして歓迎尊敬されるのか(そもそも月1でプラハに行ける財力持ったフリーターなんかいないぞ)。非正規雇用であるか、そうでないかでわりと判断しがちなところもあったりしそう。
じぶんが人生でなにをいちばん大切にしたいかがわかっていれば、雇用形態や生き方なんてそれに合うものを選んでいって、いろんな人たちで共存しあって、その生き方いいね、僕の生き方もいいよ、なんて笑いあっていける国になればいいのになと思う。まあたぶんこれからそうなっていく気がするけど。アカルイミライ。
わたしも散々悩んで、隣の芝生を横領したいくらいのこと思ってますが、よくよく考えたら人生には満足してるのかもなあ。
とりあえずいまわたしが大切にしたいことは、たくさんの本を読むことと、たくさんの音楽を聴くことです。オーディオ環境の整えへの旅もしたいかな。アンプ、スピーカー、レコードプレイヤーも欲しいんだよな。
あれ、情熱価格のイヤホンに感動してる場合じゃないじゃん!
ツェッペリン合宿(苦行)
ツェッペリンあんまり好きじゃなくて(嫌いでもないけど)良さがまだ解っていないので、ツェッペリン合宿と称して唯一もっているアルバム「レッドツェッペリンIII」を苦行の如くひたすら聴きつづけています。
なんとなく良さがわかってきた、かもしれません。恋人によるとこのアルバムあんまり…だそうですが、OKOK、大丈夫っしょ!
好みでもないが買ってしまったので苦行の如くそのCDを聴きこむ…というのは、いま40〜50代のミュージックキッズにとってはごくごくふつうの体験らしいですね。当時はLPか。
石川さんの場合はプログレッシブ・ロックバンドのYesの盤を買ったは良いものの、いっぺん聴いても良さがまったく解らなかった。しかしレコードは当時の石川さんにとって安い買いものではなかったため、なんとかもとをとろうと(?!)来る日も来る日もそのレコードを聴き続けたらしい。
するとある日、その素晴らしさが天から降ってきたかのように解ってしまい、それがきっかけでプログレにハマっていかれました。
「いまはYouTubeやネットで無料かつ簡単に音源を聴ける。気に入らなかったらもう2回と聴くことはしない。ネットもないあの時代だったからこそ得ることができた産物だったヨー」と話しておられたが、小学校高学年からYouTubeでエロ動画とか観ていた世代のわたしにとっては本当に羨ましい限り。
ネットがあって、モノも情報もズリネタも発言権もなにもかも簡単に手に入るいま、どうしてもわかりやすい音楽が好まれるような気がします。1回聴いてピンと来るような音楽。
何回も何回も聴いて、ある日突然魅力が湧き血踊ってくるような体験は必要なのじゃないかなーとも思うんですけどね。自戒も込めて。
でもみうらさんの執念というか、粘着質(!)というか、凄いところなのですが、買って失敗だと感じたにも関わらず、ファーストアルバムから1枚1枚ディランのアルバムをコツコツ集め始めます。
凄いことですよ。中学生ですよ。お小遣いなんて知れてるし、レコードだって安くない。たいして好きでもないなんなら古くさいアーティストのレコードを買い続けるわけですよ。みうらじゅんはすくすくとみうらじゅんだったんですね。
結局「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」で開眼され、ブッ飛び、のちにはご自身で選曲したベスト盤や「アイデン&ティティ」まで書いてしまうのですから。「苦行」の深みというのは確かにあるんじゃないでしょうか。
お腹を痛めて産んだ子は可愛いといいますが、苦行を経て得た魅力と愛は、やはり深く強く自分自身の核となる気がします。どうなんだろう。わからないけど。
この文章を書いているあいだずっとツェッペリンを聴いていたので、すこし親密にはなれてきました。ちょっと埃っぽく煙たい感じ、カリスマ性のある野暮ったさ、やっぱりなんか嫌いじゃないです。